個人訳・出版社訳などの試み
カロザース『略解新約聖書馬太(マタイ)伝・馬可(マルコ)伝』1875年(明治8)
田島象二『新約全書評駁』1875年(明治8)
キリスト教に対する仏教側からの反駁の書であるが、マタイ伝福音書が収められている。英訳と漢訳によったとしているが、ヘボン・ブラウンの1873年(明治6)『新約聖書馬太伝』の影響が強いとされている。
干河岸貫一『両約全書自語相違』1875年(明治8)
原著はヘンリー・ボウルの“Self-contradiction of the Bible”の訳である。キリスト教に対する反駁のために翻訳されたが、多数の聖書の句を含んで訳されている。
小島準治『旧新両約聖書伝』1879年(明治12)初篇1880年(明治13)2篇
井深梶之助『新約聖書馬可伝 俗話』1881年(明治14)
バチェラー『新約聖書』1897 アイヌ語訳
イギリス教会宣教師として来日し、函館を拠点にアイヌ族の教育・医療につくし、生涯をアイヌの伝道と弱者救済を行った人物である。
左近義弼の聖書和訳
慶応義塾で福沢諭吉に学び、米国で入信した。青山学院神学部教授として聖書の個人訳をなした。
G.Pピアソン『略註新約全書』
1888年来日、明治学院中学部教師となる。国家主義思想の台頭により北海道小樽・旭川・から十勝・釧路・北見・天塩にも伝道し、野付牛(現北見市)を拠点とした。
1928年(昭和3)永井直治『新契約聖書』
湯浅半月
詩人であり、本名は湯浅吉郎。同志社に学び、旧約聖書を教えた。ヘブル語からの直訳である。
『伝道之書・雅歌』1937年(昭和12)
『イザヤ書』1939年(昭和14)