戦後の口語訳ー現代日本語への翻訳
口語訳聖書前史
太平洋戦争中の1942年(昭和17)、日本聖書協会総理事会は「旧約聖書改訳中央委員会」を委員長都留仙次ほか20名とし、詩篇・ヨブ記などを訳した。しかし、戦争終結後の当用漢字・新かなづかい制定により、1950年(昭和25)新約聖書優先の方針に転じて「新約聖書改訳委員会」を作り、委員長に村田四郎、委員に都留仙次、西村敬太郎・手塚儀一郎・今泉真幸・都田恒太郎・鈴木二郎・関根文之助とした。こうして大正改訳聖書を現代仮名遣いと当用漢字で書き改め、ルカ伝などを組版まで進めたのだが、この改訳委員会は日本聖書協会に対し新たに口語体訳として全文を翻訳するよう求めた。
口語訳の成立
1950年(昭和25)12月26日日本聖書協会理事会は旧約・新約両聖書の現代語訳を行うと決定し、「聖書現代語訳委員会」を組織した。
旧約委員:都留仙次(委員長)、手塚儀一郎、遠藤敏雄
新約委員:松本卓夫(委員長)、富森京次、村田四郎
その後富森が病気で高橋虔に交代、村田が明治学院大学長に着任して新約改訳コンサルタントになり山谷省吾に交代した。委員会主事は馬場嘉市、国語関係嘱託に関根文之助であった。
口語訳新約聖書 1954年(昭和29)3月4日翻訳完成 5月発売
ネストレ校訂『ギリシア語新約聖書』第21版を底本に使った。
明治学院は、新約の校正ゲラや、翻訳委員のサイン入りの『四福音書・使徒行伝』翻訳委員用特装本、翻訳の様子を述べた日本聖書協会西村(高田)清子氏の書簡を所蔵する。
口語訳旧約聖書 1955年1月14日成稿、4月『旧訳聖書』『聖書』出版
『創世記』と『出エジプト記』の試訳分冊版を1953年に発行し、ここで2人称を「お前」から「あなた」と変更し、さらに表現の検討のため広く顧問を募り、のべ381回の委員会により訳業を成し遂げた。
底本はルドルフ・キッテル校訂『ビブリア・ヘブライカ』第三版。