訓点聖書とローマ字聖書
訓点聖書
米国聖書会社は1878年(明治11)以来各種訓点聖書を発行し、大英国と北英国聖書会社は1880年(明治13)から訓点聖書を発行している。
日本人は当初英語をオランダ語と漢文から理解したが、同じように知識層は中国語を漢文として読むことができ、漢訳聖書の理解を漢文として進めることができた。宣教師たちの翻訳はだれでもわかる言葉で進められたが、これは彼らには違和感のある言葉であった。
ブリッジマン・カルバートソン版の漢訳聖書に訓点を施した訓点聖書は、和訳される聖書の間つなぎに留まらず、漢文の読める層には理解し易い聖書であった。
明治元訳には固有名詞表記や用語に漢訳聖書の影響が多く見られる。
ローマ字聖書
最初のローマ字聖書はキリスト教禁制下に米国で出版されている。
ローマ字聖書の対象は、来日する外国人の牧師たちであろう。日本語は書くことと読むことが、聞く話すことより難しいという特徴を持つため、まずはローマ字聖書で日本語をと考えられたのだろう。また、この時代は日本語すべてローマ字で簡易に表現しようという、思潮もあったことが背景にあるのかもしれない。
Link:"Shin-Yaku Sei-sho. Yohanne no fuku-in."
Link:"Kyushin Yaku Zensho, The Holy Bible containing the Old and New Testaments in Japanese"